本日祝日。天気は快晴。
お空の神様は全国の学生に味方したようで、祝日である今日はまさにお出かけ日和な空模様となった。子供たちは一日の始まりに心躍らせていることだろう。
しかしそんな中、綱吉だけは太陽輝くあっぱれな空を恨めしそうに見上げていた。

(くっそー……)

ーーお空の神様が公平ではないことを、綱吉は久しぶりに思い出したのだった。



日が照り始めた午前中。
綱吉は公園のベンチに座りながら、ほとほと困り果てていた。肩はしょんぼりと落ち込み、くらーい顔をしている。綱吉の家庭教師が見たら「いつものことじゃねーか」と鼻で笑いそうな姿である。
しかし見過ごせない部分があった。というよりも、そもそも根本的な部分で間違いが起きている。

そう、これは何かの間違いだ。

綱吉はそう呟いた。呟いたはずだった。
しかしその声は言葉にならず「がうぅ」という情けない鳴き声に置き換わってしまった。
自分の発した声が耳に入り、落ち込んで俯く。すると今度は毛に覆われた手足が見え、さらに情けない声をもらす。
その無限ループに陥っている綱吉の姿は、どこからどう見ても、彼の相棒であるナッツそのものである。
そう、綱吉は今、何故かナッツの姿で公園のベンチの上にお座りしているのだった。
見るからに耳を垂らしたその姿は哀れとしか言い様がない。
もう一度言うが、綱吉は心の底から困り果てていた。

(何でこんなことに)

どれだけ考えようとも答えは出ない。
見慣れているはずのナッツの足(しかし今は自分の足)をぼんやりと眺めながら、何かおかしなことはなかったか、と起床してからここに至るまでの道のりを今一度思い浮かべた。

朝、起きる。
何故かナッツになっている。
リボーンはどこかに出かけていていない。
指輪には本物のナッツがしっかり戻っていた。
混乱しながら家を飛び出す。
行くあてもなく、昨日ナッツとムクロウを見かけた公園までトボトボ歩く。

そして今に至る、といった所だろうか。
綱吉は短い前足で頭を抱えた。
いっそ泣きたくなるほど心当たりがない。

(オレが一体何したってんだ)

今までの人生、何かとこの言葉を口にしながら生きてきた綱吉ではあるが、今ほど声を大にして叫びたいと思ったことはない。
本当ならばまだ家で二度寝をしている時間だ。それから朝食を食べ、部屋でまったりゴロゴロと漫画を読みゲームをして。そんな素敵な休日を送る予定だったのに。
なんともひどい仕打ちではないか。

(一番の可能性はリボーンだけど、昨日は特におかしな素振りもなかったし…他に違ったことといえば…)

片耳が思案するように横を向く。

(この公園でナッツ達に会ったことぐらいだけど……それが何? って感じだよな)

綱吉の鼻先から、クゥと声が漏れた。
これでも一応溜息を吐いたつもりだ。こうなったらもう、唯一どうにか出来そうな己の家庭教師が帰って来るまで、時間を潰すしかないのかもしれない。
がっくりと肩を落とし、綱吉は力なく空を見上げた。

ーーと思ったら。

視界に広がったのは空ではなく、後ろから覗き込むように見下ろしてくる男の顔だった。
綱吉はオレンジ色の目を見開いて硬直する。
逆さまに映る顔がニコリと笑う。

「奇遇ですね」

硬直、からの驚愕。綱吉はびゃっと悲鳴を上げて飛び上がった。
拍子にベンチから転げ落ちる。

(う、)

「ガォッ」
「おっと、危ない」

落ちる、と思った瞬間、大きな手が腹に回った。
身を固くしていた綱吉だが、衝撃はいつまで経っても来ない。反射的にギュウと瞑ってしまった眼を開けると、視線が高かった。
どうやら腕に抱えられているようだ。
勇気を出して、そろりと上を向く。

(う、)

「そんなに驚かなくてもいいでしょう。まったく、危なっかしい」

(うそぉぉぉ)

そこには、呆れたように苦笑する六道骸の顔があった。
綱吉は現実逃避にどうでもいいことを思った。
ああこいつ、イケメンだったんだ。



さて、内心混乱を極める綱吉とは反対に、骸は綱吉を抱えなおすと、ベンチに腰掛けた。
綱吉はもれなく骸の膝の上だ。しっぽの先までピンと張り詰めてひたすら固まっている。

(一体どういう状況だこれぇ!)

上を向いたら六道骸の顔がありました。
なんて、そこら辺にある怖い話よりよっぽどホラーではないだろうか。
初めて会ったときよりはかなり骸に慣れた綱吉ではあるが、やはり会うには心の準備がいる。スペック人見知りは伊達ではない。
しかしそれが、今はなんとゼロ距離だ。綱吉には未知の領域と云えよう。
あなたと私の距離、ゼロメートル。
昨日テレビで見た、リップクリームのCMが脳内を高速で過ぎ去った。
ぶんぶん頭を振る。現実逃避はまだ早いぞオレ。

その時、頭上からフ、と声が降ってきた。
綱吉は丸めた背中をぷるりと震わせ、それからゆっくり顔を上げる。

(ぅお)

六道骸だ。当たり前だ。
ただ綱吉は少しばかり驚いた。骸が、なんだかあまり馴染みのない顔をしていたからだ。
そりゃあ綱吉とてそこまで骸の表情に詳しいわけではないけれど、強いて言うなら、ほんの少し微笑んでいるように見えた。

「何やってるんですか、君は。目回しますよ」

骸の手が綱吉の頭にぽんと乗る。それから慣れた手つきで耳の後ろやら首周りやらを掻き始める。
それがどうしたことか 気持ちいいのなんので綱吉はうっとり目を細め、ハタと気づいた。

「がぅ」
(そうか。オレ、今、ナッツの姿してるんじゃん)

綱吉は心の中で手の平を打った。
そう、そういうことだ。骸は今の綱吉を、綱吉だとは思っていない。ナッツに声をかけたつもりなのだ。
そのことに気づき、綱吉はなーんだと力を抜いた。
それなら問題はない。だってこの姿は客観的に見たらナッツ以外の何者でもないのだ。綱吉だとバレていないならそれでオッケーである。
じゃあいいか、と骸の手に体を預けてーーいや待てよ。ちょっと待て。脳内で審判がタイム!と叫んだ。
やはりおかしい。

「がう、う?」
(何でお前がナッツに声かけるんだよ)
「くふふ、気持ちいいですか?僕のゴッドハンドに為す術もありませんね」
「がおっ」
(そうじゃないよ!いやそうだけども)

確かに骸の撫で方は上手だ。まるで気持ちいいと感じるところが最初から分かっているかのように、あちこちの毛をかき混ぜる。
その淀みない手つきに、綱吉はふと思った。

(もしかして、これが初めてじゃないのか?)

いやいやまさかと形だけは否定する。
しかし綱吉の優秀な直感を使うまでもなく、事実がどうであるかは骸の呟きからすぐに分かった。

「今日は随分と大人しいですねぇ。何かあったんですか」

撫でる手を止めた骸が、不思議そうに綱吉の顔を覗き込む。その顔を間近で見て、綱吉は(やっぱり……)と半目になった。
やはりそうだ。“今日は”なんて言葉を使っているのだから間違いない。
綱吉は確信した。骸とナッツは、以前にも会ったことがあるのだ。おそらく、この公園で。
なんとも意外な展開である。

「いつもだったら鬱陶しいほどゴロゴロいって懐いてくるのに…お腹でも痛いんですかね」

骸の手が遠慮なく綱吉の腹をさする。

「くぅ、がぅぅ」
(ちょ、やめろ)
「ほら、ゴロン」
「がうー!」
(ゴロンじゃねえええ)
「お、元気が出てきましたか」

ジタジタと暴れる綱吉を、骸が楽しそうに弄り回す。遠慮がない手つきは、これがいつものじゃれ合いであることの証明だ。
おいおい、マジか、と綱吉は仰天した。
「会ったことがある」ではなくて、日常的にけっこう会ってるんじゃないだろうか、コイツら。
更なる驚愕に、綱吉の尻尾がピンと伸びた。目ざとい骸はその微かな隙も見逃さず、綱吉をひっくり返す。
やられた。そう思うも時既に遅し。
骸の魔の手により綱吉は屈辱の数十分間を味わうこととなった。


抵抗に疲れ、息を乱す綱吉から、やっと骸の手が引いた。
綱吉は男の膝の上に力なく横たわる。硬ぇ膝だなチクショウ。文句はいくらでも出てくるが、口に出せないのが口惜しい。そもそも抗議する体力すら残っていない。
そんな綱吉の背に、再度大きな手が乗っかった。
今度は何だと身を固くする綱吉。しかし予想に反して、その手はゆっくりと、宥めるように背中を滑った。

「やはり、今日の君は何だかいつもと違いますね」

上から存外穏やかな声が降ってくる。
そりゃ、なんたって中身はオレだし。
と答えるわけにもいかず(そもそも答えられないが)、綱吉は瞼を閉じた。
先ほど弄くり回された、せめてもの仕返しだ。
そして暗闇に閉ざされた世界で、奇妙な現状を感慨深く思った。

(なんだかなー)

骸とナッツがねぇ。へえ、ははぁ、とひとしきり唸り、頭の中で一人と一匹を並べてみる。
これまた可笑しな絵柄だ。こちらは昨日のムクロウ以上に接点など皆無だろうに、一体どんな運命の悪戯が働いたのやら。
考えてみても、答えは見つからない。
ムクロウと仲良くなったのが先だろうか。それとも骸と仲良くなったからムクロウとも仲良くなった?
否、そんなものは鶏が先か卵が先かの問題だ。知る由もないことである。
ただ純粋に、あの自分に似て臆病者のナッツがここまで骸と仲良くなったことに驚いた。
世の中、何が起こるか分からないものだ。

「いつもみたいに引っ付いてこないんですか」
「がおぅ…」

思わず情けない声が出る。
いつも引っ付いてるとか、ナッツお前どんだけ。
しかし”引っ付く“という単語に、昨日の情景が脳裏に甦った。ムクロウとナッツだ。
そういえば公園で会ったあの二匹も、それはそれは仲睦まじく引っ付き合っていた。
ゴロゴロと喉を鳴らすナッツ、そしてそのナッツに大人しくすり寄られるムクロウ。

(…ムクロウ可愛かったな)

ふわふわの羽毛の感触を思い出し、綱吉はふにゃりと顔を緩めた。
すりすりと頭を押し付けてくる仕草は、綱吉の中のムクロウのイメージを一気に塗り替えた。
ムクロウと、それからナッツ。くっつくのが大好きな二匹。
よくよく考えてみたら、奇妙な二匹だなぁと綱吉は首を傾げた。匣アニマルらしく主人に似ているかと思えば、ムクロウは綱吉に懐き、ナッツは骸に懐いている。
それではまるで。 ーーまるで?

「釣れないですね、まるで君の主人のようだ」

骸がポツリと呟いた言葉に、綱吉はパチと目を開いた。
主人とは自分のことだ。

「君の主人は面白い男です。それなりに強いくせに臆病で、間抜けで。いつまでたっても僕に慣れない」

可笑しそうに骸が言う。

「何なんですかね、君の主人は。君はこんなに僕に懐いているのに」

その言葉を聞いた瞬間、綱吉は未来に行った時のことを思い出した。

ーー匣アニマルは持ち主の気持ちを敏感に反映する。

そう言ったのは誰だっただろうか。いや、この際誰でもいい。
ただ、綱吉はそうであると知っていた。匣アニマルがいかに主人の気持ちを顧みるか、骨の髄から理解していた。この身を持って、経験したのだから。
そうして得た相棒がナッツだ。
綱吉とナッツは一心同体。それはつまりーー

どういうこと?











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